志村竜也

志村竜也(しむらたつや、1970年2月10日 – )は、埼玉県志木市出身の草野球選手(外野手、内野手)。右投左打。2012年からレッドリボン軍に所属する。 
愛称は「シム兄(にい)」

学生時代野球歴

学生時代編

来歴・人物

小学生時代

野球を始めたのは小学校4年生の時(軟式)、きっかけは父親が野球をやっていたこと。
志木ジーニアス(現、志木二小メイツ)に所属し、近隣四市の大会でそこそこ勝ち上がる中堅クラスのチームで、一塁手と控え投手を務める。

なんと!少年野球時代の志村少年は【右打ち】 もともと左打だったのを 無理やり右打ちに魔改造した指導者よ・・・ おかげで現在の強打者の面影は少年時代は無かったそうな・・・
左打に返り咲いたのは、なんと少年野球最後の卒団試合 友達が元々志村君は左打だよと言ってくれた。それに対する監督のひとこと
監督:「もっと早く(左打だったこと)言えよ志村」
志村少年「お前が右打ちに魔改造したんだろうが(# ゚Д゚)」

中学生時代

志木市立宗岡中学校に進学し野球部(軟式)に入部
エースで4番主将に君臨する。
当時は試合が数試合しか無い時代で、通算0勝・・・屈辱に塗れましたとの本人談

高校生時代

埼玉県立朝霞高校の野球部に一般入部
投手志望で入部するも3日でクビに!!1年生の時は才能がまだ開花せず目立たない選手であったが、2年夏に一塁手のレギュラーを掴み取る!
最高学年となった新チームで中堅手にコンバート、3年春に遊撃手、3年夏に三塁手と現在の志村を象徴するかのようなポジションはゼネラリストぶり。
打順は主に4・5番を務め、2年夏、3年夏ともに県予選ベスト16の成績をおさめる。

高校2年夏、勝てばベスト8に残れるゲーム。3点ビハインドの最終回二死一、二塁から右中間に志村が放った打球は大きな放物線を描き、土壇場の同点本塁打か・・・!惜しくもあとほんの数mとどかず三塁打。あとほんの少しだけ遠くに飛んでスタンドに入っていたら同点に戻して延長に持ち込めたはず・・・記憶に残るゲーム・シーン

3年春に事件はおきた。
エースがまさかの疲労骨折。監督は投手に志村さんを指名。試合前日に300球投げ込みをさせる今の時代では考えられない調整・・・ 試合当日8連続四球後交代を告げられベンチ裏で顔が変わるくらい殴られる(本当に今の時代だったら逮捕案件(# ゚Д゚))

大学生時代

大学名は本人の希望により非公開・・・Facebookでは、バカ田大学と記載が・・・笑
軟式野球部に入部し、当初は三塁手であったが肘と肩の故障により右翼主へコンバート。
打順は4番を務め、4年生のときに北関東大学リーグ優勝、東日本大会ベスト16の成績をおさめる。
リーグの決勝戦で2本のホームランを右中間に運ぶなど中心選手として活躍する。

選手としての特徴

打撃

右打ちに魔改造された少年野球時代をのぞき、中学から大学まで主に4番を務め、現在と変わらぬ長打を量産。

守備・走塁

50m走のベストが5秒8 遠投も90mに届くか届かないかという高い身体能力を誇るが、ポジションは器用貧乏っぷりを発揮し、一塁手、三塁手、遊撃手、中堅手、右翼手を転々。現在の丈夫な体とは裏腹に学生時代は肩の故障にも苦しまされた。

投手として

中学時代にエースを務める。制球が定まらず高校入学3日後に投手を廃業。高校3年の春に所属校のエースの疲労骨折により、急遽投手復帰も8連続四死球で本格的に投手を廃業する。球速は高校2年の秋に130キロオーバーを計測するなどロマンはあっただけに惜しい。

人物

中学、高校と主将を務めるも本人曰く「独善的な主将」と控えめ。大学時代にマネージャーとお付き合いするなど青春の一コマも。

社会人・草野球編は追って公開

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